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by kitanakaw301 カテゴリ
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土曜日になるといつも日曜日を休むかどうかを考える。だらだらと毎日出勤するよりもたまには休んだ方がいいに決まっている。休みを取ってまとめて本を読んだり、DVDを見たりすることを思うが、実は休みの日はなんとなく茫然として何もしていないことが多い。本を読み始めても緊張感がないのでついうとうととし始める。DVDもほぼ途中で寝てしまう。朝目が覚めた時その日のテーマをしっかりと捕まえて起き上がるべきだが、休日のテーマがいつも見つからない。
いつか書かなくてはと思いつつ先送りにしていたのは1950年代の主にアメリカで量産されたB級のSF/モンスター映画のことである。
映画とは本来B級なのであってそのB級性をうまくごまかしおおせたものがたまたまA級の称号を得るというのが私の持論で、これは作り手の手のうちや画面の外の人間関係、経済状況などが画面を通して透けて見えるかどうかというところにかかっている。B級映画はあきらかにそのような映画外状況が視界に入るという意味でおもしろいのであり、A級とはそれを見えなくする手法を獲得したディレクターの仕事である。これはB級映画のたのしみかたの根本に関わるところだが、ところで1950年代のアメリカ製SF/モンスター映画のほとんどが放射能による突然変異か宇宙人の侵略というテーマを取りあげている。その背景として東西冷戦時代の核と侵略に対する漠然とした不安が大衆的なレベルにまで浸透していたということがよく言われるが、同時に放射能の威力とか宇宙という映画のもともとの内容の中に、よく分からないままに大衆的な好奇心をかきたてる何かがあったということも出来る。 B級映画における放射能の威力のほとんどが人間を含む生物の巨大化や怪物化の原因として可視化されているが、一方で目に見えない恐怖として放射能を描いた例は私が知る限りでは見当たらなかった。 この時代のSF/モンスター映画が楽天的に見えるのは、放射能とそれが生み出した怪物が結局は人間の力によって処理可能なものとして描かれてきたということに原因があるようだ。宇宙人の侵略も含めて、最終的には人間/アメリカ人の智恵と武器が巨大な敵に打ち勝ってしまうという物語のヴァリエーションが大量に作られていた。(続く)
最近神経をすりへらしているので、少し気楽なことを書かせていただきたい。『ガンマン大連合』の特典映像の、撮影中に偶然写ったというUFOを見たが、どうもUFOには見えなかった。もうひとつの特典映像であるコルブッチ夫人のインタビューは豪快でなかなかおもしろい。ついでに冒頭を少し見直したが前よりも印象がいい。
私のマカロニウエスタンコレクションも国内発売で言えば(見落としがなければ)いよいよ後は買おうかどうしようかと迷っている3作品と、高価で手が出ない2作品だけになってしまった(その他マカロニに数えていいのかどうか迷ってしまう微妙な作品がまだ他に何点かあるが)。 迷っていた作品のひとつ『野獣暁に死す』を先日買って途中まで見た。迷ったのは昔見た日本語吹き替え版の印象があまりにもひどくて(たしか仲代達矢は自分で吹き替えをしていたと思うが)、どうしてももう一度見たいとは思わなかったためだ。 今イタリア語版で見直すとそれほどひどくはなくてちょっと安心した。以前気になったことのいくつかをあげると、主人公が牢の中で木製の銃を使って練習をしているのだけど、それがさっぱりうまそうには見えないことと、また、悪役の仲代達矢の子分たちのガタイが良過ぎて仲代がやや貧弱に見えるために、彼らが仲代をいたわっているようなそぶりが見えて、悪役にしてはとてもいい人たちに見えてしまうのだ。仲代が馬に乗ろうとするとき、子分がそっと手を添えている場面などとても荒くれ男の集団には見えない繊細さである。 付記:作品名で検索される方もいらっしゃるようなのでタイトル変えました。
出勤まであと10分ほどある。横浜で金環日蝕は見えたのだろうか。なにも準備していなかったのでどっちみち見なかったけど。朝は5時頃眼が醒めてベッドで『河東碧梧桐句集』を読んでいるうちにまた寝てしまった。
昔ある宗教団体の幹部の人に呼ばれて絵画や骨董が大量にあるので見てほしいと言われて行ったことがある。鑑定は専門外なので、特に茶碗や朝鮮から来た小さな仏像などは意見を差し控えたが、さすがに絵画は私でもなんとか分かる程度によくなかった。なんの変哲もない作品に大観とか華岳とか有名な名前が誰でも読めるような分かりやすい字体で書いてある。坂本繁二郎の油絵が2点あって、1点はあきらかにひどかったが、もう1点はかなりよく出来ていた。来歴もはっきりしていると言うことで、なんでも久留米の坂本家の隣家の人が信者で、野菜や米を坂本家にお裾分けをしていたら、本人がお礼にその絵をくれたという。私は写真を撮って本当の専門家のもとへ行った。画集で調べてもらうとうりふたつの水彩画が出て来た。この水彩が下絵だとしてもあまりにも似すぎていた。専門家の結論はこうだった。画題にあまり関係のない、例えば画面の端の小さな石ころまでそっくりそのまま写しているとしたら、普通本人であればそんなことはしない、と。
明日は協議会の総会、来週はNPOの総会。明後日は「商店主の会」の発会式。その合間をぬって明日から黄金町芸術学校のキュレーターコースがスタートします。また黄金町バザール公募の1回目の説明会も明後日。例年今頃からあわただしい1年が始まります。
福岡から送って来たので再読した。文庫版。以前イアン・ジョンストンによる伝記の翻訳が出た時にはイーストウッドもここまで来たかという感慨があったが、その後何冊も研究書、雑誌の特集、伝記が出版されて、彼がいろんな側面から語るに足る、あるいは語りたくなる映画作家としての地位を確立したことが証明された。中には女性スキャンダル中心の暴露本のようなものもあるが、それも時にはイーストウッド作品の暗い側面に反映されているのかもと思えば役に立たないこともない。内容としては特におもしろくもないが。
ところでこの本は1950年代のハリウッドシステムの崩壊を目の当たりにした新人俳優がやがてそのシステムの再構築者になるためにテレビ俳優とイタリア映画への出稼ぎという回り道を経て、再びハリウッドへ戻って来る、という物語である。テレビと大作主義によって崩壊する以前の、ハリウッドで確立されていた映画作りについておさらいをしながら、著者はイーストウッドをまさにその歴史を生き直す映画人として位置づける。 その意味でこの本では役者としてのイーストウッドは背景に退き、映画製作の全体をコントロールする映画作家としての側面が強調されている。 俳優としてのイーストウッドについて語るとすれば、私はあの『ローハイド』の青年が『荒野の用心棒』の主人公として初めて登場した時の驚きを忘れることが出来ない。
先日東北へ行った時、仙台の駅ビル内で買ったもの。ゲーリー・クーパー主演、ヘンリー・ハサウェイ監督の西部劇です。とにかく設定も風景も変わった映画で、いわゆる「ファム・ファタル」というやつですが、展開が不自然で、どうも納得いかないところが多い。というか、手塚治虫の西部劇漫画を読んでいるときの感じに近いと言えばいいでしょうか。ジャケットの絵もまさに時代を映してそんな印象です。脇役が全員死んでしまって、まるで大掃除が終わったかのように、観客の疑問符を無視したまま、さわやかなハッピーエンドをむかえる、というのもやはりおかしい。なにかと居心地のわるい映画でした。
追記:しかしこういう映画がちゃんとDVDで発売されることは大切です。
4月26日と5月4日の2回、続けて石巻の日和アートセンターへ行って来た。26日は新幹線だったが、4日は前日の深夜、3331からスタートした遠藤一郎君の「未来へ号」バスに乗り、4日早朝に到着した。ちょうど大雨を追いかけるような形で、石巻に入ったところで道路の冠水に行き当たり、迂回してアートセンターにたどり着いた。
行くたびに街の印象が変わっていく。特に若い人たちの姿が目立ち始めた。またアートセンターに出入りしてくれる人も少しずつ増えているようだ。ここがたまり場的な役割を持ってくると当初の計画が少し果たせたことになる。 26日の夜はホテルに泊まったが、4日はアートセンターに泊まってみた。風呂を使う機会はなかったが、なかなか居心地が良かった。簡易ベッドを入れれば2~3人は泊まれそうだ。 現在安部泰輔が滞在しているが、次回以降のプログラムはまだ未確定のところもある。プランを出してみたいという方、お待ちしています。
昨日福岡から本が送って来た。指定した本の他は適当にあるものを詰めてもらうようにしているが、その中に『千年王国ユーザーズガイド』があったので、9年前に買ったまま放っておいた本を改めて読み始めた。ところがこれがおもしろくて止まらなり、昨夜は眠くなるまで読み続け、今朝は5時過ぎに目が覚めてからまた読み続けている。ハリウッドのゴシップとカフカを同じテンションで語るところがSF作家の面目だと思うが、もちろんバラードだからこそ、それを見事にやってのけているのだろう。
『現代のカフカ」という短い文章の中でこんなことを書いている。「私たちは理解の及ばないさまざまな巨大組織ー都市、金融機関、政治団体、巨大広告会社、大娯楽帝国ーに囲まれている。これらの組織はユーザー・フレンドリーになってきたものの、私たちが従うべき道をはっきり定めてしまう。相手は暴君にしては腰が低く婉曲だが、不気味なことに変わりはない。」日本の現状を見た時、この巨大組織のリストから洩れているものがあると思う。(木原善彦訳、白揚社)
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