明治時代にその学問的基盤を形成した学者さんたちは時々大変大胆なことをいう。赤堀又次郎という人もそれで、昔仏教関係の本を内典と呼び、それ以外の本は外典と呼び、現存する最初期の古事記や日本書紀の写本以前に、仏典などはすでに立派な本が作られていたこととか、絵巻物は活動写真として大衆化し、現代によみがえった、とか。不思議な人です。
決して奇説ということではなく、まっとうなのです。でも後世の著作者が遠慮して言いそうにないようなことをさらっと言ってしまっていることがあって、私は内藤湖南を読んだ時に初めて明治の学者の恐さを知りました。