いつか書かなくてはと思いつつ先送りにしていたのは1950年代の主にアメリカで量産されたB級のSF/モンスター映画のことである。
映画とは本来B級なのであってそのB級性をうまくごまかしおおせたものがたまたまA級の称号を得るというのが私の持論で、これは作り手の手のうちや画面の外の人間関係、経済状況などが画面を通して透けて見えるかどうかというところにかかっている。B級映画はあきらかにそのような映画外状況が視界に入るという意味でおもしろいのであり、A級とはそれを見えなくする手法を獲得したディレクターの仕事である。これはB級映画のたのしみかたの根本に関わるところだが、ところで1950年代のアメリカ製SF/モンスター映画のほとんどが放射能による突然変異か宇宙人の侵略というテーマを取りあげている。その背景として東西冷戦時代の核と侵略に対する漠然とした不安が大衆的なレベルにまで浸透していたということがよく言われるが、同時に放射能の威力とか宇宙という映画のもともとの内容の中に、よく分からないままに大衆的な好奇心をかきたてる何かがあったということも出来る。
B級映画における放射能の威力のほとんどが人間を含む生物の巨大化や怪物化の原因として可視化されているが、一方で目に見えない恐怖として放射能を描いた例は私が知る限りでは見当たらなかった。
この時代のSF/モンスター映画が楽天的に見えるのは、放射能とそれが生み出した怪物が結局は人間の力によって処理可能なものとして描かれてきたということに原因があるようだ。宇宙人の侵略も含めて、最終的には人間/アメリカ人の智恵と武器が巨大な敵に打ち勝ってしまうという物語のヴァリエーションが大量に作られていた。(続く)