ようやく読み終わった。本の3分の2あたりまで来て、ついに国政に関与する地位に付き、明治2年、さあこれからというところで突然暗殺されてしまい、ちょっとあっけにとられた。このことによって、まったく違う明治の可能性は断たれてしまった。横井小楠が構想していた明治と実際の明治は明らかに違う方向へと向かった。その隔たりが現在もなおわれわれを支配しているとしたらどうだろう。要約すればそれは王道か、覇道かの違いであり、日本は王道というアジア式の近代化の可能性を放棄し、公よりも自己(私)を利することを優先する覇道のほうを選択してしまった、ということだろう。