日本の古本屋の目録に『小楠先生小伝』という本があったので注文した。こんな本があるとは知らなかった。多分小冊子が送ってくるのだろうと思っていたら、届いたのは意外に分厚い梱包で、開けると中身は『小楠遺稿』だった。私は明治31年の再版をすでに持っていたが、これは明治22年の初版で、なぜこのような間違いが起きたのか、それはすぐに思い当たった。序文その他のあとの本文冒頭のタイトルが「小楠先生小伝」となっていて、本屋さんはどうやらこれを本全体のタイトルだと勘違いしたらしい。
それはさておき、この本の見開きには朱筆の書き込みがある。それによれば、この本は小楠の子息でこの本の編者でもある横井時雄から松平主馬に贈られたものである、と。この人については知らなかったので、ネットで調べてみると福井藩の家老職だということが分かった。この人が「越藩」の執政であったとき、「常に小楠先生を招きて時事を謀り又老公に侍して劃作する所有り」云々という書き込みがある。老公とは松平春嶽ということになる。この書き込みをした人はこの本を父から受け継いだ松平静という人で、これもネットで調べた範囲ではどうやら神職であり、また国文学者でもあったらしい。この方は明治40年頃になってからこの本を丹念に読まれたようで、赤や青の鉛筆、あるいはペンを使って傍線ではなく、半円形を連ねるような形でラインが引いてある。そして所々にやはり朱筆で見出しのような役割を果たす書き込みがある。
これはあとからこの本を読む者にも大変便利に出来ていて、こういう書き込みはありがたい。
部屋に帰って再版の内容を確認してみると再版時に追加された序文があって、そこに初版とのわずかな異同があることと、かなりの校正を行ったことが報告されているが、ふたつの本を並べて比較してみると、再版の辞にある以上の違いがあることがすぐに見て取れる。
正確な比較検討のようなことが私に出来るかどうかは分からないが。