横浜開港後、その警護のために出来たのが太田陣屋というもので、幕府の命によって最初に駐屯したのが他でもない越前福井藩だった。ここで前に書いた岡倉天心に話はつながっているが、この因縁についてあまりよく分かっていなかったので、今頃書くのはちょっと恥ずかしい。実は今日小林(光政)さんにお会いしたとき、複数のアジアのアーティストが集まった場面で、もし開港の場所が横浜でなかったとしたら、私たちは今ここで会うことはなかったでしょうね、と言われたので、そうでしょうね、と適当な返事をしたら、ここに太田陣屋があって越前藩が来たからです、と言われ、よく意味が分からないながらも、そうか越前藩だったのかということで、やや虚をつかれてしまった。太田陣屋は現在の横浜市中区日ノ出町のほぼ全域を占めており、当然私たちの事務所もその中に位置している。小林さんとの会話のつじつまが合っていたかどうか、そして内容を正確に伝えているかどうかはよく分からないのだが、私の受け止め方がそうだったということで読んでいただきたい。
追補:太田陣屋の設置は1859年(安政6年)とのこと。