『蘇東坡』もようやく下巻に入りました(下巻を買ってないと思い込んでいて、上巻が終わる前に早く買わなくては、と焦っていたら、ある日自宅の本棚で見つけました。そうだ、解説を先に読みたくて、下巻も買っていたのだ。危うく2冊買うところでした)。
先日の羽田からの帰りの飛行機では玉川信明『中国の黒い旗』の始めの方を読みました。
この本では孫文はほんの脇役で、どちらかと言えば否定的なイメージで描かれています。時代、立場で人の評価は変わるものです(あたりまえか)。
この本を読もうと思ったのはそこに石川三四郎の姿がちらりと現れていたからです。
最近の読書は、朝が『蘇東坡』で、夜は石川三四郎です。今は『一自由人の放浪記』を寝る前に読むのが日課。
彼の生活美学というか、今日風に言えば、アートと生活の一体化、を彼が提唱したことに今とても関心があります(言い回しうまく行ってなくてすみません。またいずれ整理しましょう)。
しかもすべてにおいて、彼はとてもゆるいのです。何に対しても執着を感じさせない態度に引かれています。
彼の東洋史関係の本をまだきちんと読んでいないので、その全体像を理解しているとはとても言えないのですが、いつか彼についてそれなりにコメント出来る程度には研究したいと考えています。
タイトルのことを忘れていました。何を言っても無駄な時は何も言わない方がいい、という話を書く予定でした。違うことを書いてしまった。例によって時間切れ。