アンドレ・ジッドの『日記』2冊が届きました。
聖書か辞書のような紙で、文字がぎっしり詰まっています。
『コンゴ紀行』や『チャド湖より帰る』など、昔は日記とは別に刊行されていた本も繰り込まれています。
早速、日本語訳を持って来て見比べてみました。
ジッドの日記は、彼がピエール・ルイスと一緒に、文学仲間で集まるための部屋を探す場面から始まります。彼の文学的人生のスタートを告げる宣言のような、短いがまとまりのある一文です。
しかし、日本語とフランス語を見比べながら、これはこんなに複雑な文章だったのか、と改めて感じました。日本語だけの時、あっさりと読み飛ばしていたのですが、部屋の描写や窓からの眺め、そして引用へと続く文章の動きの繊細さに、これはとても生きてる間に最後まではたどりつけない、と覚悟しました。
まあ、少しずつ進む楽しみもあるというものです。彼の行き方と文体との対応関係について知りたいと以前から思っていました。
彼の生き方に興味があって、それというのも、彼は彼の作品だけで自立する世界を構築しようとはせず、その作品はいつも彼の生き方と彼をとりまく現実が関係していました。だから、生きている彼との関連を想定しないと、作品が意味をなさない、というか、あまりおもしろくない、
ということがしばしば起こります。
それほど彼の作品は彼にとっての生きる手段だったということでしょうか。