昨日の昼間、私は古本屋さんから新刊屋さんへと短い航海をしました(普通に言えばさまよいました)。それがいかに暑かったかはさておき、結局3軒廻ってなにも買いませんでした。
最後にたどりついた新刊屋さんで見たドゥルーズの『フーコー』は迷いました。河出文庫で、『フーコー』という短いタイトルがいかにもいいと思って。でも買わなかったのはドゥルーズにしろフーコーにしろ、私はすでに何冊か持っていて、それもまともに読んだわけでもなく、新しいのを買う前にそれを読めばいいじゃないか、というもっともな声が聞こえたのです。
それと、今の私にドゥルーズなど読めるのか、という心配もありました。最近ネグリの『芸術とマルチチュード』を読み続けられずに投げ出してしまったばかりです。
今朝私は本棚から思い切り古いのを取り出しました。パイデイアのフーコー特集。昭和47年発行。当時私はこの本を買っただけで読んでいないと思っていたのですが、久しぶりに開いてみてその文章のほとんどに見覚えがありました。多分読んでいたようです。
この本を読んだ私は今私の中のどこにいるのか、もう一度読んだらそれはしばらくでも復活するのでしょうか。いつのまにか否定され、抑圧されてしまったかのような、私の中の複数の私の肯定。
この話には追記があります。今日もまたジュンク堂でフーコーの本はやはり新しい方がいいんじゃないの、と考えていろいろ見てみましたが、やはりなにも買いませんでした。まだ早い。