長崎に楠本端山、楠本碩水という兄弟の儒学者がいた。二人の学風は違っていたそうだが、晩年は一緒に学校(塾)を開き、後進の指導に当たった。弟の碩水は大正頃まで存命だったようで(まちがっていたらあとで訂正)、端山の息子に家学を伝えた。伝えたのはそれだけではなく、李退渓の朝鮮と日本におけるすべての刊本がこの家には揃っていたそうだ。そして楠本家の儒学は三代目楠本正継に継承される。この人は九州大学の先生として門下に多くの学者を輩出した。その一人、岡田武彦は著述の多い人で、明徳出版社から全集も刊行されている。ここからが「もしも」の話になるが、1960年代の終わり頃、この方は西南学院大学の先生だった。ちょうど私が大学へ行こうかどうしようかと考えていた時代で、西南大学は試験なしで入れる枠内にあったが、まったく視野になかった。なんとなく芸術系に行くべきだと思い込んでいたのだ。もしも私がタイムマシンか、あるいはなにか心霊的な方法で過去の私に忠告することが出来たなら、さっさと西南大学へ行って中国哲学の勉強をしろ、と言ったに違いない。しかしながらものわかりのわるい18歳の青年は言われたことが理解出来ず、今私が実際にたどってしまった人生とまったく同じ人生をたどったことだろう。だからこの「もしも」は残念ながらまったく成立する見込みはなかった。