『支那思想とフランス』というタイトルにも関わらず、小林太市郎がライプニッツをていねいに取り上げたのは、ライプニッツが、ロシアを含む汎ヨーロッパなネットワークの持ち主だったからという理由だけではなく、小林太市郎自身がライプニッツの思想に負うところが大きかったためだと思われる。同著者による『中国絵画史論攷』冒頭の歴史記述とは何かという、その方法的根拠について説明している箇所はライプニッツのモナド論への言及から始まる。
同じく中国思想がフランスに与えた影響について戦前に数冊の著書を出している後藤末雄の場合、その代表作『支那思想のフランス西漸』では、ライプニッツの易研究のエピソードがわずかな字数で紹介されているだけで、それ以上の言及はほぼ見当たらなかった。
ライプニッツと儒教の関係についてはもう少し早い時期に五来欣造という人の『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』という大冊があり、それにはライプニッツ及びクリスチャン・ヴォルフについてのかなり詳細な記述が含まれている。
ところで、数日前から井川義次著『宋学の西遷』と堀池信夫編『知は東から』を読み始めた。どちらもとてもおもしろいが、どちらの本を見ても、小林太市郎の名前はない。その後、堀池信夫著『中国哲学とヨーロッパの哲学者』上巻が届いたので、ざっと見てみたが、やはり見当たらない(この本はライプニッツのところまでたどり着いていないのでそのためかもしれない)。ついでに石川文康編『多元的世界観の共存とその条件』という本を取り寄せたが、これにもやはり言及はなかった。
ライプニッツと中国思想の関係について、小林太市郎は先駆的なアプローチをしているように思えるのだが、あまり顧みられてはいないようだ(素人の感想なので自信はないが)。彼の晩年の本『芸術の理解のために』がとても安かったので、注文してみたら安いのが当然のような作りの本で、内容の方もちょっと微妙な感じだった。私の頭の中で、1940年代に出ていた著作と晩年の著作があまり結びつかない。