昔、角川文庫で『日本文化史研究』を読みました。その時の衝撃は忘れられません。とんでもない人だと思った。日本は中心じゃない、中国が中心だよとあっさり言ってしまう。天皇家のルーツは朝鮮半島だと証拠を並べて納得させてしまう。応仁の乱以前の日本の歴史なんか関係ない、と言い切ってしまう。
さらに彼は、中心である中国に中心はない、と考えていました。中心がいつも動いているというイメージか、あるいは中国は均質な統一体ではない、というイメージ。
彼は国が富むことを否定しました。というより、国を富ませることは目的ではない、それは手段であって目的は文化である、と主張しました。貧乏な方が文化が育つとまで言い切っています。だから彼は金持ちになることの目的化と貧相な文化を世界にまき散らすアメリカのグローバリズムを嫌いました。
彼のいう文化とは何か、最も狭い意味で文化を突き詰めるなら、それはすべてが(彼は哲学、科学、工業などの例をあげていますが)芸術化することだと彼は考えていました。
彼のジャーナリストとしての経歴はこのしばしばセンセーショナルとも思える発言スタイルに影響を及ぼしているのでしょうか。時々彼の論旨が寄って立つ根拠が正確なのかどうか、怪しいと思える時があります。特に講演を書き起こした文章で、笑いをとろうとする時のネタは観衆に媚びるように俗っぽくてあまりいただけません。
彼の場合素人でも何とか読めるタイプの本と学術的な本のふたとおりがあって、その隔たりはかなりのものです。残念ながら専門性の高い方は私の理解をはるかに超えていて、今のところ本棚の飾りでしかありません。いつか読めるようなりたいと食い下がってはいるのですが。