今朝方見た夢ですが、東京のO君が電話をかけてきて、「もう意地を張らなくてもいいじゃないか」というのです。そして彼は現実の彼とはかなり違う調子で私に話しかけていました。私はふと甘えて心を許したように彼の話を聞いていました。
昨日のバスの中で、そして寝る前に『限界芸術論』の宮沢賢治に関する部分を読み続けて、私は圧倒されていました。修学旅行をはじめ、生活のあらゆる場面を芸術という視点から捉え返して実践する宮沢賢治と、それを『農民芸術論』についての注解として解き明かす鶴見俊輔、このふたりの大きさを前にして、あたりまえですが、今までの自分があまりにも至らないレベルでしかなかったことを思い知らされました。
私の中でおぼろげでしかなかったことはやはりおぼろげに考えていただけで、それに私の行動を導く力などなかったのです。
しかし夢の中のO君のあたたかい言葉は彼の姿を借りて宮沢賢治、鶴見俊輔を含む私の思想と行動を支える背景のなにもかもが道に迷った私に語りかけてきたような気がしました。私はその声を聞きました。
まだそれに応える力はありませんが、「ヴィジョンによって明るくされた行動」としての芸術の世界を求めることが私の役割であることを忘れたくありません。
失望を表明した書き込みを削除しました。そしてもう一度、はじめからやり直す作業に戻ります。今度は決してあきらめることなく、最後までいくつもりです。
仕事と生活の拠点がどこにあるかは分かりませんが、私の思想と行動は常に周辺に身を置くことによって形成されてきました。今後もそうであることに変わりはありません。
説明不足なことも多かったと思います。今後は文章でお伝えする機会を増やすようにします。