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友枝龍太郎氏の『李退渓』を読んでいると、いわゆるその行間に日本の儒学者たちに与えた影響らしいものが見え隠れする。最近はやや読み散らし傾向で、読書と集書のどちらも朝鮮半島と日本の儒学、朱子学に関する本(しばしば実学という言葉で要約されてもいるが)に偏りつつある。荻生茂博氏の『熊沢蕃山』についての小文はおもしろかった。蕃山本人についてはほとんど言及せず、岡山藩の事業の経過について言及した後、最後にそれを批判する熊沢蕃山が現れ、そのことによって彼の思想の傑出したところを明らかにしてみせるというなかなかの手法だ。しかし16世紀以前、あるいは戦国時代以前に日本の平野部には大規模な稲作がなかったという著者の説は本当だろうか。私の自宅は福岡空港近くの比較的「広大な」平野部にあたるが、先年、縄文時代の稲作の跡地が出土してしばらく話題になったことがある。河川もあるが、それはさほど大規模なものではなかったので、治水の苦労がそれほどでなければ平野部でも稲作は可能だったということなのか。同じ本の最後に山崎益吉氏の『横井小楠』があったので、合わせてそれも読んでみた。
友枝氏の著書は『朱子文集』を以前購入し、今日『朱子の思想形成』が届いた。 『朝鮮哲学史』は1960年代に北朝鮮で出版され、その後弘文堂から邦訳が出版された。その後この本の著者の一人が『朝鮮実学思想の系譜』という大冊を刊行し、これもその後邦訳が出版されている。この2冊を較べるだけでも政治的な状況の変化があったことを感じさせる。当時この著者がどのような状況にあったのかは分からないが、やはりこのような大冊を書き上げたことは尋常ではない。隠された熱意のようなものがあったのかもしれない。 ▲
by kitanakaw301
| 2014-04-30 18:52
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飯田橋で打ち合わせの後、そのまま休みにして高円寺へ行った。なぜか高円寺はお祭りのようで、都丸書店の前にレールが敷かれて小さな電車が走っていた。本を2冊買ったが(牛尾春夫『熊沢蕃山』と安藤徳器『西園寺公と湖南先生』)、何となく納得がいかず、そこから水道橋へ向かい、神保町へ。最近はネットで買ってばかりで古本屋さん回りをしていない。体力的にもあまり自信がなくて、歩き回ることだけでもすでに大丈夫かなと思っていたが、やはり途中で体調が悪くなりはじめて、本棚の上の方を見ることもしんどくなって来た。しかしそれ以上にリサーチ不足というか、勘が鈍っていることがよく分かる。本を見ても正確な判断が出来ない。
朱子学関係の本を探してみたが、どうもよく分からなくなってしまい、すべていったん見送った。結局当初の目的とはまったく関係のない『ポオのSF』2冊を買って切り上げることにする。帰りの電車が坐れたので助かった。 ▲
by kitanakaw301
| 2014-04-27 00:02
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昨日は山出淳也君に黄金町芸術学校アートマネジメント講座の最後の授業をお願いした。
彼とは20年くらいの年齢差があるが、私が20年さかのぼっても、とても彼のようには出来なかったに違いない。 学校が終わってからBankARTのオープニングの終了間際に駆けつけた。なかなかの盛況でパブは超満員。昔知り合いだった人たちもいたようだが、もうそれが誰だか教えてもらわなければ分からなくなっていた。中原浩大氏も90年代に仕事をしたことがあるが、どういう人だったかという印象もあいまいで、まったく自分では見つけることも出来ない。 展示はとりあえず下見ということで駆け足で見た。 空腹に耐えかねて、10名ほどでパブを抜け出して店を探し、中華料理屋で遅い食事。 昨日の午後は山田君にわがアパートで棚を組み立ててもらった。背中に板を貼付けて作品の展示に使えるようにする予定。ついでに大量のゴミを出した。 ▲
by kitanakaw301
| 2014-04-26 11:36
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これも小説である。原題は『イマ』で主人公の名前がそのままタイトルになっている。強盗や人殺しをなんとも思わない所業の一方で、無力な庶民に対して圧政を敷く権力者や、役人、知識人を徹底して憎み続けるというイマが、様々な遍歴を経て晩年に至り、生きる目的をほぼ見失った時に、最後の目的として、その教説と文章を持って人を惑わす知識人の代表として李退渓を殺すことを思いつくが、会ってみると、とても殺すことも出来ず、むしろ帰依してしまいそうな自分をどうすることも出来ない。彼はなぜか李退渓を殺せないのは李の顔のせいだと考える。だったら顔を残せばいいのだ。イマは生きた李退渓の代わりに鉄の彫像を作ろうとするがどうしてもうまくいかない。イマはなんとか顔を写すために、いつか出会った絵のうまい僧を連れて戻るが、その間に李退渓は死んでしまう。
本当にこんな時代だったのかというように、陰惨な拷問と粛正が果てしなく続く物語であり(阿部吉雄の昭和19年刊『李退渓』ではこの辺の史実について実兄が犠牲になったことには触れているが、全体に簡略な記述でまとめている)、イマ自身も多くの死の場面に巻き込まれることになる。そして最後に李退渓のやすらかな死に出会うことによってようやく彼の妄執に取り憑かれた遍歴も終わり、慟哭する自分を見出す。 ▲
by kitanakaw301
| 2014-04-23 11:55
| 本について
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横井小楠を題材とした小説はかなりたくさんあるようだ。この本も小説なのでセリフが熊本弁になっていたり、風景の描写があったりするが、それでもおおむね資料に即している部分が多い。小説形式のいいところは人間関係が分かりやすいことだ。どこに焦点を当てるかによって登場人物が取捨選択されているので、いわゆる伝記本と比較するとかなりすっきりして見える。この本の場合は幕末維新の中でもとりわけ中心的な役割を果たした人物群が登場する。この時代の人たちは時期によって考えや立場が変わっていることが多く、なかなか捉えにくいが、その意味で、この本は横井小楠を中心に置くことで、当時の代表的な人物が果たした役割を
![]() 写真は四時軒の内部。 ▲
by kitanakaw301
| 2014-04-14 18:32
| 本について
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先日鎌倉の古本屋さんで近世社会経済学説体系の『坂本龍馬・由利公正』を購入した。石巻出張の途中で読み続けたが、どちらも横井小楠と縁が深かった人たちである。ただしこの本では横井小楠の影は見え隠れするものの、彼の位置づけがどのようなものであったのか特にはっきりとは言及されていない。由利公正については越前藩の財政改革は成功したが、それをそのまま新政府の経済政策に適用しようとしたことについては、後任の大隈重信から時代遅れな手法として全面的に拒否され、編者の尾佐竹猛もそれを追認しているようだ。ここでも実学党の系譜を引く人たちの退場があったということだろう。
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by kitanakaw301
| 2014-04-12 10:57
| 本について
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